Artist Statement

「纏うことを欲する無意識」の探求

私の作品づくりの根底には、「人はなぜ身に纏うのか?」という問いがあります。

それは美しさの追求かもしれない、自己表現かもしれない、あるいは身を守るためかもしれません。けれど、そのいずれでも答えきれない、もっと根源的な"衝動"のようなものがあると思うのです。

かつて、コルセットで締め上げられた身体こそが美しいとされた時代がありました。しかしココ・シャネルが提唱した自由な身体のラインは、それまでの美意識を根底から揺さぶりました。このように「何を纏うか」は時代と共に変化し、美意識もまた不変ではありません。

シャネルの時代には、既成の美意識から全く新しいファッションへと劇的な転換が起きました。そして現代、多様なファッションを纏うことが可能になった今もなお、その変化は止まることがありません。美の基準が移ろい続ける中で、それでも人は何かを纏い続けます。

ならば、「纏う」という行為の本質は、移ろいゆく美意識そのものではなく、もっと別のところにあるのではないでしょうか。

植物の世界には、目的や合理性では説明しきれないほどの多様性が広がっています。その背景には、生存戦略だけでなく、偶然の積み重ねによる変化―進化生物学で「中立理論」と呼ばれる視点―があることを知ったとき、私は「纏う」という行為にも、似たような層があるのではないかと感じました。

人が何かを纏うとき、それは理由があるようで、実は「なんとなく」選ばれています。なぜその服を、なぜそのジュエリーを身につけるのか―機能や美意識を超えた、"無意識"が動機となっているのです。

私は、その「纏うことを欲する無意識」を紐解く試みとしてジュエリーを作っています。

引き付ける何かがあるからこそ、無意識は作動します。何もなければそれはただの「無」であり、纏う衝動は起こりえません。

無意識下で起こる「纏う」という衝動の正体は、身につける人と共鳴しカタルシスをもたらす"エンターテイナー"である―そう考え、それをジュエリーとして表現しています。

すべてが意味で埋め尽くされた世界ではなく、"不明確な意味"もまた存在の一部として受け入れる。その視点から生まれるジュエリーに、「纏うこと」の本質が宿ると信じています。

rev.4 14th Nov 2025 Tomokon Maeda 眞栄田 とも子