PHILOSOPHY:彫金道 —— 命を刻む、その一瞬の覚醒

1. 日常という「静寂」に散った火花

日常の何気ない所作の中に、真理が宿ることがあります。

例えば、朝、顔を洗い、歯を磨く。

ある朝、私はふと思い立ち、無意識の闇に葬られていた自分の動作を一つひとつ、極限まで高い解像度で観察してみました。「指先が歯ブラシに触れる感触」「キャップを回す際に生じるわずかな抵抗」「水の冷たさと、そこにある重み」……。

その瞬間、思考は止まり、私の心の中に「パチン」と火花が散りました。ただの作業だった数分間が、突如として鮮烈な光を放つ儀式へと変貌したのです。

2. 「何をなすべきか」の覚醒

その感覚を言葉にするなら、それは「なすべきことを成すための、何をなすべきかが覚醒した瞬間」でした。

茶道や武道の「型」がそうであるように、決まりきった動作の中にこそ、魂を込める余白がある。

動作そのものが目的へと昇華されるとき、日常は「修行」に変わり、退屈なルーティンは神聖な輝きを帯び始めます。

3. 彫金道(ちょうきんどう) —— 行為こそが作品である

この気づきは、彫金作家としての私の根底を鮮やかに塗り替えました。

これまでの私は、どこかで「完成品」という未来の結果のために、「制作」という現在を消費していたのかもしれません。しかし、今は違います。

金槌が振り下ろされる一閃、鏨(たがね)が金属を噛む手応え、立ち上がる極小の削り屑。その「一筋の線を彫る行為そのもの」が、すでに完結した作品なのではないか。

私が歩むべきは、形を追うだけの技術ではなく、一打一打に魂のすべてを注ぎ込む「彫金道」なのだと悟ったのです。

4. 命の証を、永遠の金属へ

一打一打、一削り一削りに、今この瞬間の命をすべて懸ける。

技術やデザインを超えた先にあるのは、目に見えない力、オーラ、あるいは祈り。

私が作品を作り終えたとき、そこには単なる装飾品を超えて、私の「生命が燃えた跡」が残るのでしょう。

完成した形とは、その瞬間の「覚醒」が積み重なった結果の残像に過ぎません。今、この一瞬、何をなすべきか。その問いに誠実に応え続け、金属の奥底に私の精神の純度を封じ込めていきたいと思います。

5. 日常という「道」を歩む

私たちの日常も、そして私の創作も、すべては「今、この瞬間」への向き合い方で決まるのだと感じています。

 今日から私が彫る線は、昨日までとは決定的に違います。

一本の線の中に、私の生命のすべてを懸ける。

その「彫金道」の途上で生まれた覚醒の欠片を作品を通じて皆様にお届けできれば、これ以上の喜びはありません。